【読み物】平家物語の舞台をめぐる旅2023「文覚と高雄の神護寺」

猿之助氏怪僧怪演

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(NHK 2022年)で、市川猿之助さんが演じて人気急上昇‥‥かどうかは知らねど、知名度急上昇の文覚。今年5月の公演「平家物語〜語りと弦で聴く〜文覚と六代」でも大活躍します。文覚は生き方が〈JAZZ〉なので、須川さんの音楽ととても相性がよいはず(確信)。

この演目は、実はコロナのせいでお蔵入りになっていました。でも寝かせているあいだに、文覚も頼朝も北条四郎時政も人気者になっちゃって、ムフフ。さて、金子あいはこの強烈な個性の面々をどう演じるのか、「金子氏怪僧怪演」の舞台をどうぞお楽しみに。

高雄の神護寺へ

桜の咲くころ、文覚のお墓がある、京都高雄の神護寺を訪ねてきました。レポーターは野澤千佳子です。

神護寺の楼門

あの高雄に神護寺という山寺がある。昔、称徳天皇のときに和気清麻呂が建立した伽藍である。長い間修理してなかったので、春は霞にたちこめられ、秋は霧につつまれ、扉は、風で倒れ落ち葉に埋もれて朽ち、瓦葺きの屋根からは雨露が漏れ、仏壇がすっかりむきだしになっている。寺に住んで寺を守る僧もいないので、まれに入ってくるものは、月日の光だけである。
文覚はこのような状態の寺をなんとしても再興させるという大願を立て、勧進帳を携えて、あらゆる人に寺への布施を求めて歩き回ったが、ある時、後白河院の御所の法住寺殿へ推参した。

かの高雄に神護寺といふ山寺あり。昔、称徳天皇の御時、和気の清麻呂がたてたりし伽藍なり。久しく修造なかりしかば、春は霞にたちこめられ、秋は霧にまじはり、扉は風に倒れて、落葉のしたに朽ち、甍は雨露にをかされて、仏壇さらにあらはなり。住持の僧もなければ、まれにさし入るものとては、月日の光ばかりなり。
文覚、これをいかにもして修造せんといふ大願をおこし、勧進帳をささげて、十方檀那をすすめありきける程に、ある時、院御所法住寺殿へぞ参りたりける。(略)

『平家物語』巻五 勧進帳 本文は小学館 新編古典文学全集による

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文覚は、おのれの感情のままに突っ走る、直情径行型の人ですが、願ったことが実現するまでやりきる、人並み外れた粘り強さを併せもっているのがすごいところ。この時も神護寺再興を願って、後白河院の御所にまで押しかけますが、院の楽しい御遊〔音楽会〕を邪魔したかどで、捕らえられてしまいます。釈放されてからも「世の中は乱れている、君も臣も滅びるぞ」と不穏なことを説いて回るので、伊豆国に流されてしまいますが、そこで源頼朝に挙兵をすすめます。

路線バスの旅

2023年3月30日、晴れ

京都駅前から、JRバスにのります。地下鉄・バス一日券を案内所で購入しました。平野神社、御室仁和寺と桜の名所の賑わいを窓から眺めながら、延々とバスに乗りつづけます。乗車時間は約50分。高雄のバス停で降りました。高雄といえば紅葉の名所。秋はにぎわうけど、春は空いているのかな。今回、高雄で降りたのは私ひとりでした。

ピンクの濃淡は、山桜とツツジ

神護寺を訪れるのはたぶん初めてです。看板がありました。なになに、バス停のある道から、階段を下り、高雄橋をわたると、神護寺の参道にでるとな。

まずは階段を下りる。道は歩きやすく整備されています。

高雄橋からの眺め。ここは山の中。

参道の入口につきました。ここから上っていきます。

途中で3回立ち止まって水を飲み、ようやく神護寺の楼門に着きました。

神護寺を建てた和気清麻呂のお墓もありますが、今回は山の中腹にある文覚上人の墓にもお参りしたいと思っています。行けるかなあ。

楼門を入ってすぐのところにある手書き風看板

金堂。内陣に入ることができるので、ご本尊の薬師如来立像のそばまで近づけます。お寺が建立された奈良時代末に造られた薬師如来像は、ふっくらとあたたかなお姿ですが、上に引用した『平家物語』には、文覚が寺を再興するぞと決心したときには、雨ざらしに近い状態だったとあります。

散り初めの桜と金堂

文覚のお墓はどこ?

文覚上人の墓に行く案内板はどこにもないのですが(理由はあとで判明)、行ってみましょう。

多宝塔の右側の道

案内板はないけど、この青い紐が目印のような気がする。

ということは、ここを登っていくのかな。

さすがにちょっと不安になり、何度もGoogleマップを開いてみる。

もっと不安になり、もう引き返そうかなと思ったところで、謎の赤い看板を発見。文覚上人の墓はこっちとは書いていないけれど、廃物利用のこの赤い看板が大事な目印です。(ということがあとで判明しました)

目印の赤い看板(だが看板といえるのか?)

Googleマップによると、ここで曲がるみたい。

それっぽい道を登ります。

あ!

着いた!

文覚上人の墓

くるっと振り返って、お墓から見える景色をパチリ。京都の町を見渡すことができる場所に、文覚上人は眠っていました。

帰りにもう一度金堂に寄りました。

金堂の入口

さっき来た時は、お寺の人が他のお客さんと話していたので、遠慮して、文覚上人の墓への行き方を聞かずに突撃したのですが、これが良かったみたい。薬師如来のお札と寺の案内書を買って、「文覚上人のお墓に行ってきました。ふふん」と自慢したら、あきれた顔をされて「山道だからね、おすすめしていないんですよ」と言われました。(どうりで、他の人がSNSにアップした画像には文覚上人の墓はこちらという案内板が写っていたのに、今回は案内板が全くなかった。2023年3月30日現在の情報です)「鎌倉殿の13人」で文覚の知名度が上がったというのに、もったいないなあ。

歓迎されてる?

私がお墓にたどり着くことができたのは、もしかして文覚に呼ばれたのかもしれません。ついたところでいきなり黒い虫がとんできました。

「よ~来はったなあ」

なお、山道の途中にあった赤い看板があるところで曲がらずまっすぐ進むと、愛宕山まで行ってしまうとのことです。ご用心ご用心。

神護寺の歴史(抜粋)

最後に、文覚が再興した神護寺の歴史を簡単にご紹介。

【奈良時代】
781年 和気清麻呂、高雄山寺(神護寺)建立を許される。
【平安時代】
812年 高雄山寺において、空海最澄らに真言密教の儀式である灌頂を授ける。
824年 空海、高雄山寺を神護国祚真言寺と改名。
●平安末期、神護寺が荒廃する。
1173年■文覚、神護寺復興の勧進のため法住寺に推参、後白河院の勘気をこうむり、伊豆に流される。
1180年■源頼朝、伊豆で挙兵。
1184年 後白河院から神護寺再興を許される。源頼朝の援助もうける。
【室町時代】
1467年 応仁の乱により、伽藍を焼失。
【江戸時代】
1623年 金堂(現在の毘沙門堂)・五大堂・鐘楼などを再建。
1629年 楼門を再建。
【明治時代】
1900年 地蔵院を再興。
【昭和時代】
1935年 金堂・多宝塔・清麻呂霊廟を再建、伽藍を整備。

神護寺で買い求めた案内書 800円なり

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新作公演「平家物語〜語りと弦で聴く〜文覚と六代」

2023年5月23日(火)~25日(木) 座・高円寺2

【上演章段】祇園精舎/文覚荒行・文覚被流・福原院宣(巻五)/維盛都落(巻七)/六代(巻十二)*休憩含み約100分予定

【公演日程】5月23日(火)19:00 5月24日(水)14:00/19:00 5月25日(木)14:00 *開場は開演の30分前。

【出演】金子あい(語り芝居)/須川崇志(コントラバス)

【チケット料金】前売当日共、全席指定
1)一般=5,000円
2)ペア割=9,200円(2名1組)
3)U23割=2,000円
*3名以上のグループはお一人4,600円になります。
*U23券は席数限定。当日受付で年齢を確認できるものをご提示ください。
*未就学児の入場はご遠慮いただいております。
*車椅子でご来場の方は事前にご予約ください。

【お問合せ】art unit ai+ 090-1232-1363 (13:00~20:00)
*電話に出られない時は、折り返しこちらからかけ直します。
auaplus@gmail.com

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