【解説】「平家物語〜語りと弦で聴く〜文覚と六代」公演がまるっとわかる解説

原文は難しいのでは??というみなさまに、演者の金子の視点から、わかりやすくかみ砕いて解説いたします。ご鑑賞の前にぜひお読みください。(*ニュアンス重視で原文の敬語や謙譲語は無視して書いております。ご了承ください。)

巻第五「文覚荒行」

今回の主人公、文覚上人は、もと遠藤盛遠という武士でした。彼は19の時に出家しますが動機ははっきりとはわかっていません。平家物語諸本の中には、誤って恋する女性を殺してしまったことがきっかけだとしているものもありますが、いつも使っている覚一本には「道心おこし出家して」としか書かれていません。しかしそのむちゃな修行ぶりには呆れます。真夏の草むらで一週間毒虫に食われまくるのを手始めに(←このシーンは今回はカット。)那智の滝に21日打たれて、不動明王の「慈救の呪」を30万回唱える!と大願をたて、雪が降り滝が氷柱になるほど寒い真冬に滝壺に入り、案の定、すぐ死にかけて、天童が助けたのに逆ギレして怒り出す始末。滝へ戻るものの結局8日目に文覚は死んでしまいます。ところが、こんがら童子とせいたか童子がやってきて、文覚の身体中を撫で回して蘇生させます。さすがの文覚も一体誰がこんなに自分を憐んでくれるのかと聞くと、大聖不動明王だと答えます。2人の童子は明王は「兜率天にいる」といって天空に消えて行きます。(←ここSFっぽくて好き。)

文覚は、不動明王が俺を応援してくれてるのかっマジかよ!とアドレナリン出まくりで、真冬の風も滝の水もあったかいぜ!とついに21日の大願を遂げます。その後日本各地で修行しまくって、都へ戻りますが、その頃にはかなり霊力を身につけていたようで、飛ぶ鳥を祈り落とすほどだったと書かれています。

私は、文覚は今で言う「多動性」の人だと思うんですね。衝動的で、一旦やると決めたことへの執着の凄さなど、私も多動性なのかなり思い当たるところがあります。笑(とはいえ、私はすっごい寒がりなので、冬の滝には入りませんけど。)

文覚の豪快さが印象的な章段ですが、「慈救の呪」は煩悩を振り払い仏道へ導いてくださいと祈ると共に、弔いの時にも唱えるそうです。21日間で30万回唱えるとなると、1分間に少なくとも10回×24時間×21日です。天童が何度助けても滝壺に帰り立つ文覚は、もちろんそれほどの求道の覚悟があったのでしょうが、もしかすると、自分も死んでもいいと考えていたのかもしれない…誤って恋する女性を殺してしまったのは本当だったかもしれない…なんてふと思いました。(このあたりは「袈裟と盛遠」などご参照ください)

熊野の山や滝や宇宙を想像しながら聴いていただきたい章段です。

巻第五「文覚被流」

プリンストン大学のデジタルライブラリーより。
https://dpul.princeton.edu/eastasian/catalog/z603r1955

数年かけて日本全国で修行した文覚。都に戻り、仁安3年1168年30歳の時に高雄の神護寺を訪れます。神護寺は空海の旧跡。住職もいなくボロボロになった神護寺を復興させようと草庵を作りそこに住み込んで寄付金を集めながら私力で修復を進めます。

6年後の承安3年1173年4月29日、これ以上の復興は「仏法王法」、つまり朝廷の加護がなければあり得ないということで、文覚は勧進帳を携えて、後白河院の御所を訪ねます。もちろん取り次いでもらえないのですが、お構いなしに庭へ入ってゆきます。

折節、後白河法皇は音楽上手な貴族を集めてライブパーティの真っ最中。ご機嫌よく自分もお歌いになったりしてるところへ、文覚がズカズカと入ってきて「千石の庄園寄付してくれ!」と大声で勧進帳を読み上げるものですから、パーティは台無し。捕まえろと大騒ぎ。

資行判官という武士が捕まえようとすると、文覚はもと武士、勧進帳で資行の烏帽子を打ち落として突き倒します。資行はもとどりがバラバラになって恥ずかしくて逃げてしまいました。(ちなみに平安時代の貴族や武士は烏帽子か脱げたり、結んでいたもとどりが取れることは、パンツを履かずに人前に出るくらい恥ずかしいことでした。)

かかってこーい!と懐刀と勧進帳を両手に走り回り、安藤武者右宗がかかってゆくと、文覚は嬉々として(←武士の血が騒ぎまくるんでしょうね)応戦しますが、とうとう捕まります。

ところが、全然こたえず、後白河法皇の御所に向かって、悪口放言しまくります。「寄付しないばかりか、俺をこんな目に合わせて覚えてろー!例え帝王でも地獄に落ちる時の苦しみは逃れられないからなー!」即刻逮捕。(←このあたりの描写は面白くて堪りません。)

ところがすぐに大赦があって文覚は保釈されます。大人しくしてりゃぁいいものを、また勧進帳を捧げて寄付を募り歩きます。しかも「この世の中は乱れて、法皇も貴族もみんなほろび失せるぞ」なんてことを言うので、「もうアカン、こいつ都に置いといたらろくなことにならん!流罪やー!!」ということで、伊豆国へ流されてしまいました。

文覚は、良いと思う目標(神護寺復興)を定めると、それを成し遂げるためにものすごい力を発揮します。相手の身分の上下など無し、忖度など関係ないのです。ハンパない熱量は、伊豆への道中約ひと月断食し続けてもなお日々行い済ましていたというからすごい。

熱すぎる男、文覚。

巻第五「福原院宣」

プリンストン大学のデジタルライブラリーより。
https://dpul.princeton.edu/eastasian/catalog/z603r1955

伊豆へ流された文覚は、頼朝の元を頻繁に訪れては、色々な話をしました。

源頼朝は、平治の乱で父義朝が討たれた時、平清盛の継母である池禅尼によって助けられ、14歳の時に伊豆に流罪となり20数年。

ある時、文覚は頼朝に言います。「平家の嫡男である重盛は非常に優れた人だったが、平家の運命が末になったのか、去年8月に亡くなった。今はあなたこそ将軍にふさわしい。早く謀反を起こして、天下を取るべきだ!」頼朝は「池禅尼のために法華経を毎日唱えているのみで、そんなことを考えたこともない。」

さあ、ここからが文覚の、人を丸め込む力というか、納得させられてしまう三段論法?がばりばり展開していく見所です。ざっくり平たく申し上げますと、、、

青春時代のほとんどを鬱々と伊豆で過ごし、父の屈辱を晴らし天下を取る気があったのかなかったのか微妙な態度の頼朝に…

文覚:天が与えた才能とチャンスを生かさないのはバチが当たるというもんだ。

あんたを試しているわけじゃないよ、オレの本気を見たまえ、ホレ!と懐からドクロを取り出す。
これは捨てられていたあんたの父親の髑髏。俺はこの十年ずっと弔ってきたから、義朝殿にもご奉公してきた(ようなもんだ)!

頼朝:疑いながらも文覚に気を許し始める。

頼朝:そもそも私は勅勘(天子から咎めを受けている)の身で、謀反なんてどうすればいいのだ?

文覚:簡単なこと、オレが勅勘を法皇に許してもらってきてやる!

頼朝:マジで言ってるの?あんたも勅勘の身で無理でしょ?信じられないな。

文覚:自分のことを許してくれというのは変だけど、あんたのことを許してくれというのはノープロブレム!後白河法皇のいる福原の新都には8日もあれば往復できるぜ!(びゅーん)

頼朝が、あの坊さんとんでもないこと言い出して、オレまたとんでもない目に会うんじゃないだろうか…ともやもや案じているところに「それ、院宣よ」と、文覚は約束通り、勅勘を許すから旗揚げして平家をやっつけるべしという「院宣」を法皇からもらってきました。

そして頼朝は旗揚げし平家討滅の謀反を起こすのです。

史実としては、文覚のすすめだけが旗揚げのきっかけになったわけではないようですが、後白河法皇は、横暴な清盛との関係が悪化し、何度も幽閉されており、いい加減なんとかしたいと思っていましたので院宣を与えたのでしょう。文覚は一にも二にも神護寺復興!そのためには法皇の援助が欲しい。打倒平家は文覚にとっても法皇と頼朝に恩を売る絶好のチャンスでした。

めちゃくちゃなようで筋は通ってるんです文覚は。ちなみに、平家を滅ぼした後に、文覚は「あの時の髑髏は本物じゃなかったんだよ〜」とばらしてます。目的達成のためには手段を選ばない、世が乱れた時に時代を変えていくにはこういう熱い男が必要なんだと、平家物語は言っているようです。

巻第七「維盛都落」

プリンストン大学のデジタルライブラリーより。
https://dpul.princeton.edu/eastasian/catalog/z603r1955

1183年(寿永二年)7月25日

〈頼朝が伊豆で旗揚げした2ヶ月後に信濃で木曾義仲が蜂起し、全国に反平家の狼煙が上がります。そして、平清盛は熱病で64歳で死去。遺言は「頼朝の頸をワシの墓に架けろ!」。情けをかけて頼朝を生かしておいたことを後悔する壮絶な言葉です。そして、頼朝にとっても同じことが繰り返されます。戦後、躍起になって、平家の子孫を根絶やしにすることになるのです。平家の嫡流六代を生かしておくことのリスクは頼朝が一番よくわかっていたのでした。〉

重盛が1179年に、清盛が1181年に死んで、平家の棟梁になった清盛の三男宗盛は、1183年(寿永二年)、木曽義仲の大軍が都に攻めてくると聞いて、安徳天皇とともに都を離れることを決断します。

平家一門の人々は、ほとんどが家族を連れていきましたが、維盛は、断腸の思いで妻子を都に置いていきます。

維盛の北の方(妻)は藤原成親の娘で、大変な美人でした。維盛は妻(北の方)に、自分がもし戦死したと聞いても、絶対に出家してはいけない、どんな人でもいいから再婚して幼い子供達を育ててくれと言います。

相思相愛の二人。「死ぬまでずっと一緒だよと閨(ねや)で言ったのは嘘だったの。幼い子供達をだれに託せというの。おいていくなんて恨めしい」と北の方は嘆きます。維盛は「もちろんそう約束したけれど、先行き不安な旅に連れて行ってひどい目に合わせるのはあまりに心苦しい。落ち着いたら迎えに人をよこすから」と出発します。子供たち(六代御前、妹)も鎧の袖にすがって「どこへいくの、ぼくも行く、私も行く」と泣くので、維盛は胸が張り裂けそうでした。

(「六代御前」という名は平家繁栄の礎を築いた〈平正盛〉から数えて6代目という意味。)

そこへ維盛の弟たちが「行幸からかなり遅れています。何をぐずぐずしているのですか!」と馬に乗って迎えにきます。維盛は御簾を弓であげて、泣きじゃくる子供たちを見せ、「この子たちがあまりに慕うので、なだめておこうとしているうちに思いのほかに遅れたのだ」と泣かれたのでした。

維盛に仕えている侍に、(斎藤実盛の子息で)斎藤五(19)、斎藤六(17)という兄弟がいました。自分たちもついていくと言うのを、「六代を任せられるものがいない」といって維盛は二人を残します。

平家は一門の邸宅、家臣たちの屋敷をはじめ、都中に火をかけて焼き払って都を後にしました。

一部の戦争をしようとする人々によって、貴賎を問わず、多くの人たちが大切な人と引き裂かれ、尊い命が犠牲になり、街が焼かれました。840年前の戦争が今の時代に重なります──。

巻第十二「六代」

プリンストン大学のデジタルライブラリーより。
https://dpul.princeton.edu/eastasian/catalog/z603r1955

1185年(元暦二年/文治元年)

頼朝に挙兵を勧めた後、5年ほどの間、文覚は『平家物語』から姿を消します。(ひたすら神護寺の復興プロジェクトに没頭していたと思われる。)次に物語に登場するのは、戦後半年ほど経ってからです。

〈元暦二年三月二十四日、壇ノ浦合戦で平家一門は滅亡。(←去年やったので泣く泣く今回は割愛します〜〜)同年11月、頼朝は平家の子孫を根絶やしにするため、北条四郎時政を都へ派遣します。〉

時政はい〜〜〜っぱい隠れ住んでいる平家の公達の子孫を、どうやって探しだしたものか……一計を案じ触れを出します→「平家の子孫を探し出した者には望み通りの褒美をやるぞ!」…あ〜あ、言っちゃった時政。

すると、次々と褒美欲しさに京中の者が(平家の子孫であろうがなかろうが)見栄えのいい子を連れてきました。あまりの子どもの多さに時政もさすがに心が痛みました。上司の命令には逆らえません…水に入れたり、土に埋めたり、刺し殺したり押し殺したりしました。

頼朝は、とりわけ小松三位中将維盛卿の嫡男「六代御前」何が何でも探し出して殺せと命令していましたから、時政も手を尽くして探しましたが行方がしれず、諦めて鎌倉へ下ろうとしていたところに、「私、見たんです・・・」と密告する者があり、大覚寺の北、菖蒲谷に隠れ住んでいる六代御前を、時政は武士を引き連れ迎えに行きます。「世の中がまだ鎮まらず、誰かが乱暴なことでもしないかと思い、私が迎えに参りました。大したことはありますまい。さあ。」

この章段では、時政おじさんの優しさが随所に感じられて、グッときます。

とうとう六代御前は自ら「ついには逃れられないから」と迎えの輿に乗ります。この時、六代12歳、世にも美しくかわいらしい若君でとても大人びて見えました。ボディーガードの斎藤五、六兄弟もぴったり寄り添って六波羅へ行きました。

この3年間おびえながら身を潜めて子供たちを守ってきたのにとうとう息子を連れて行かれてしまった母上(北の方)の嘆きはひとかたならぬものでした。

翌朝、斎藤六が若君の手紙を持って戻ってきます。『さぞご心配なさっているでしょう。今のところは大丈夫です。みんなのことが恋しいです。』…捕虜となったのに、なんと気丈で優しい子なのでしょう。数えで12歳ですから、今でいえば小学5年生くらいでしょうか。母上は泣く泣く返事を書いて斎藤六に持たせました。

めのとの女房はいてもたってもいられず、飛び出してあたりを泣き歩いていると、ある人から「高雄の聖、文覚は鎌倉殿に大事にされている人で、身分の高い子を弟子に欲しがっている」と聞いて、一人高雄に文覚を訪ね、若君をなんとか助けて弟子にしてほしいと涙ながらに懇願します。若君を捕らえた武士が北条と聞き、「よっしゃ!」と文覚は飛び出します。

文覚は六波羅に行き子細を尋ねます。北条も若君があまりに可愛らしく気の毒なので、処刑することもできずそのまま置いていると言います。「よっしゃ!その若君にお会いしよう!」文覚はこの世の人とも思えぬ若君の可愛らしさにビビビっと心打たれてしまいます。「将来どんな敵になろうとも、絶対に殺させてはいけない。」何が何でも助けることを決意し、北条に20日間の猶予を乞い、鎌倉殿は俺オレに恩があるから、絶対嫌とは言えないはず、交渉して自分が若君の身柄を預かると言って、鎌倉へ向かいます。

またたく間に20日が過ぎました。文覚は戻ってきません。北条は、これ以上都にいるわけにもいかず、若君を連れて都を出発しました。六代御前は母上やめのとの女房と別れて、いつ処刑されるかとおびえながら鎌倉へ向かいます。

とうとう駿河国まで来てしまいました。千本松原でいよいよ処刑することになりました。北条は若君に「ここまでお連れしたのは、もしや聖に行き会うかもしれないと思ってのこと。私の誠意はお見せしました。足柄山を越えて(相模国へ入っては)鎌倉殿がどう思うかわからないので、(京に近い)近江国で処刑したと報告します。誰が話しても、鎌倉殿があなたをお許しになることはありますまい」と涙ながらに言いました。(←ここも時政の優しさがにじみ出ているところです。グッと来ますねえ。)

六代御前は、斎藤兄弟に「お前たちは都へ帰って、絶対に道中で斬られたと言ってはいけないよ。母上があまりに嘆かれたら、草葉の陰でも僕はつらくてきっと往生できないと思う。鎌倉まで送りつけてきたと言っておくれ。」と伝えると、静かに首を差し出して待ちました。(ああ、なんと健気な子なの…涙。)

切り手の狩野工藤三親俊は、とても自分には斬れないと言って太刀を捨ててしまいます。「ではお前がやれ、いやお前だ」と切り手を選んであーでもないこーでもないとやっているところへ、馬に乗った僧侶が鞭をあげて駆けてきました。鎌倉殿の御教書(頼朝の意向を伝える文書)を届けにきたのです!間に合った!若君は処刑を免れ、文覚に預けられることになりました。齋藤兄弟はもちろん、北条時政も大喜び、北条の家来も全員が喜びの涙を流しました。

随所に北条の情けぶかさが感じられるのが印象的な章段です。六代御前は父母とも類まれな美男美女、本当に健気で美しい少年だったのでしょう。

その後、六代御前は出家して30歳過ぎまで高雄で修行していましたが、頼朝は最後まで六代の謀反を警戒し、とうとう捕らえて、相模国田越川で処刑しました。田越川は今の逗子駅の近くにあり、鎌倉時代は刑場だったようです。今も六代御前の墓があります。

(終)

「平家物語〜語りと弦で聴く〜文覚と六代」
2023年5月23日(火)~25日(木)
座・高円寺2

文覚は伊豆に流されては、源頼朝に旗揚げをすすめ、平家滅亡後は平家の嫡流六代を頼朝の追討から守る…二つの時代を生き、権力に屈せず、時代に抗う、不敵第一の荒聖・文覚を通して、源平の歴史が動く瞬間を生き生きと描く!
原文だからこそ味わえる、言葉の豊かさ、目の前に浮かび上がる鮮やかな場面。激動の時代を必死に生きた人々を、金子あいの時空を超える圧倒的な語り芝居と、気鋭のJAZZベーシスト・須川崇志の魂を揺さぶる圧巻の演奏で蘇らせます。
──唯一無二、必見の舞台!!

あらすじ

文覚はもと遠藤武者盛遠といったが、出家して荒行をし、諸国で修行を重ねた験者であった。帰京後、神護寺修造を思い立ち、院の御所へ侵入して勧進帳を読み上げたため捕まる。大赦で許されたが再び捕まり、伊豆国に流された文覚は源頼朝を訪ね、父義朝の髑髏と称する骨を見せ旗揚げをすすめる。文覚がひそかに福原へ行き平家追討の院宣を受けてきたので、頼朝も旗揚げを決意する。その後、源氏に追われ平家は都落ちを決意。嫡流の平維盛もまた、とりすがる妻子を都に残し、断腸の思いで都落ちをする。壇浦合戦で平家一門は滅亡する。戦後、平氏の残党狩りが行われ、維盛の子六代は北条時政に捕らえられる。母は悲嘆し、乳母は文覚に助力を願う。文覚は六代を救うため、旧恩を頼みに頼朝の元へ出発。六代の処刑の寸前に赦免状を届ける。

┃章段┃

巻第一:祇園精舎
巻第五:文覚被流、福原院宣
巻第七:維盛都落
巻第十二:六代
(休憩含み約100分予定)

公演日程

5月23日(火)19:00
5月24日(水)14:00/19:00
5月25日(木)14:00
*開場は開演の30分前。受付は60分前から

┃出演┃

金子あい(語り芝居)
須川崇志(コントラバス)

スタッフ

照明:和田東史子 /音響:荒木まや/アートディレクション:トクマスヒロミ /ヘアメイク:萩原しずこ/舞台監督:穂苅竹洋/演出助手:伊奈山明子 /ドラマトゥルク:野澤千佳子/デザイン:art unit ai+/宣伝写真(金子) bozzo /制作助手:さかまきゆう
協力:株式会社藤原プロデュース、かなえのかい
後援:杉並区
企画・制作・主催:art unit ai+

┃チケット料金┃

前売当日共、全席指定
1)一般=5,000円
2)ペア割=9,200円(2名1組)
3)U23割=2,000円
*3名以上のグループはお一人4,600円になります。
*U23券は席数限定。当日受付で年齢を確認できるものをご提示ください。
*未就学児の入場はご遠慮いただいております。
*車椅子でご来場の方は事前にご予約ください。

チケット取扱い

↑上記の申込フォームは24h受付けています。
申込後、確認メールを送信しますので、auaplus@gmail.comからのメールを受信できるように設定してくださいますようお願いいたします。

◉art unit ai+ 
auaplus@gmail.com
090-1232-1363 (13:00~20:00)
*電話に出られない時は折り返しこちらからかけ直しいたします。

お問合せ

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*行政機関等の方針により座席数、販売方法が変更になる場合がございます。
★感染症対策として、出演者への面会、お花を含めた差し入れはご遠慮くださいますよう、ご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。  


古典を未来に。

2002年から平家物語を語り始めはや20年。2011年から現代的な音楽とのコラボで「平家物語〜語りと波紋音」「平家物語〜語りと弦で聴く」を上演して10年が経ちました。いまに通じる古典の面白さを伝えたい、そして、何よりも私自身が古典の魅力の虜になって無我夢中でやってきました。これまでに83公演、8000名以上の方にご覧いただくことができました。心より感謝申し上げます。今年5月にはこれまでの感謝を込めて、集大成となる公演を行います。ぜひ劇場に足をお運びください。
そして──その先の10年へ、古典を未来に。
平家物語がみなさまの人生を豊かに、生きる力となるよう、この先の10年もさらにこの活動に取り組んでいきたいと思っています。多くの方に楽しんでいただけるハイクオリティな舞台・映像作品を作ってまいります。夢は大きく、全国に!海外に!平家物語を聴いていただきたいと思っています。どうか一緒に作品を作ってくださいませんか。

ぜひ私たちの「平家物語」を応援してください。みなさまのサポートをお待ちしております。どうぞよろしくお願い申し上げます。

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「平家物語」舞台映像シリーズ

『平家物語〜語りと弦で聴く〜滅亡の焔』(AFF助成)73分
祇園精舎、奈良炎上、入道死去、抄文三種神器、千手前 2021.10.29@座・高円寺2で収録

『平家物語〜語りと弦で聴く〜俊寛(アートにエールを!東京プロジェクト助成)68分+アフタートーク
祇園精舎、鹿谷、赦文、足摺、有王、僧都死去 2020.11.13@座・高円寺2で収録


プロフィール

金子 あい(俳優・アーティスト)
東京藝術大学大学院環境造形デザイン修了。art unit ai+主宰。和洋を問わず現代劇から古典まで様々な舞台で活動。2011年より演出・主演をつとめる「平家物語」シリーズを波紋音の永田砂知子と全国で公演。2020年からは気鋭のジャズベーシスト須川崇志と「平家物語〜語りと弦で聴く」4K舞台映像シリーズを発表。圧倒的で鮮やかな語り芝居で古典を蘇らせる。その他に舞台「石牟礼道子 六道御前」「紫式部の気ままに源氏物語」、YouTube「おうちで読もう百人一首」シリーズ等を発表。主な出演作は「子午線の祀り」(第25回読売演劇大賞最優秀作品賞)「雁作・桜の森の満開の下」日生劇場「アリスのクラシックコンサート」「アラジンと魔法のランプ」等。能を喜多流粟谷明生に、新内節を鶴賀流第十一代家元鶴賀若狭掾(人間国宝)に師事。「平家物語」の朗読指導にも力を入れている。

須川崇志(Bass,Cello)
群馬県伊勢崎市出身。11歳の頃にチェロを弾き始め、18歳でジャズベースを始める。2006年、ボストンのバークリー音楽大学を卒業。その直後に移住したニューヨークでピアニスト菊地雅章氏に多大な影響を受ける。2009年に帰国後、辛島文雄トリオを経て日野皓正バンドのベーシストを6年間務める。現在は峰厚介カルテット、本田珠也トリオ、八木美知依トリオ他多くのグループに参加。数多くの国際ジャズフェスティバルに出演。近年は、Audi A5新車発表会での楽曲制作と演奏(2017)、岡本太郎記念館の企画展「日本の原影」のためのソロ楽曲制作 (2019)や、俳優の金子あいの舞台「平家物語」に即興演奏で参加。米津玄師「ゆめうつつ」、YUKI「泣かない女はいない」(2021) などレコーディング参加作品も多数。また2018年にデビューアルバム作品「Outgrowing」(レオ・ジェノヴェーゼ, トム・レイニー)を、2020, 21年に自身が主宰するピアノトリオ、Banksia Trio (林正樹, 石若駿)で「Time Remembered」,「Ancient Blue」全3作のリーダーアルバムをリリースしている。


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