〈原文倉庫〉巻九 小宰相身投

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  1. […] <都落ちした平家は、讃岐国屋島で勢いを取り戻し、摂津国に戻っていた。一の谷を拠点に都へ再び戻りたい平家軍だが、寿永二年(1183)2月、平家が構えた生田森、一の谷の陣に、源範頼、義経軍が向かう>「坂落」――義経軍が背後から攻めてきた  原文・現代語訳敵の意表を突くのが源義経の戦法。義経軍は一の谷の後ろに回って、急峻な坂を馬で駆け下りる。突然響く鬨の声に、平家軍は汀に浮かぶ助け舟に我先にと逃げてゆき混乱する。<故平清盛の弟、子、孫、甥……平家の公達が次々に討ち取られてゆく>「敦盛最期」――熊谷直実が捕らえたのは美しい若武者  原文・現代語訳助け舟に乗ろうと海に入った平敦盛は、熊谷直実の呼びかけに応えて引き返してきた。直実は自分の息子と同じ年ごろの敦盛をなんとかして助けたいと思うが、味方の源氏の軍勢が近づいてきたために、泣く泣く敦盛の頸を斬った。○涙無しでは聴けない人気の章段。敵を追い詰め手柄を立てることだけを追求してきた熊谷直実が、死を覚悟した敦盛の美しい姿に、心乱れる。「小宰相身投」――生きることを拒み、亡き夫のあとを追う  原文・現代語訳夫、平通盛の戦死の報せを聞いた小宰相は、「お腹の中にいる子どもが成長する姿を見るたびに夫を思い出してつらくなるだろう、将来、無理に再婚させられるのも耐えられない……」と乳母に告げて、真夜中に、屋島に向かう船から身を投げた。<寿永三年(1184)義経は暴風の中、船を出して四国に上陸、屋島にいる平家を急襲する>「那須与一」――若者は命がけで弓を射た  原文・現代語訳一日の戦いが終わる夕刻、平家方から一艘の小舟が出てきた。舟の上には扇の的と一人の女房。義経は与一にその的を射ることを命じる。固辞するが聞き入れられず、与一は覚悟を決め的に向かう。○屋島合戦の名場面。与一は義経の無茶振りに応えられるのか!「壇浦合戦」――戦いは今日が最後。名を惜しめ、命を惜しむな  原文・現代語訳源平最後の戦いの地となった壇ノ浦。はじめは平家側が優勢かと思われたが、潮の流れが変わり、また義経が非戦闘員である船の漕ぎ手を襲わせたため、平家軍は操船できなくなり、敗北する。「先帝身投」――浪の下にも都はございます  原文・現代語訳二位の尼は三種の神器と安徳天皇を抱え海へ沈む。栄華を極めた平家一門が壇の浦で滅んだ。830年前の源平の人々が目の前に立ち現れる。激動の時代に厳しい運命を見通しながら、必死で生き抜こうとした一人一人の物語。金子の語りと須川のベース・チェロの見事な即興演奏が、激しく、時に切なく、絡み合う。それは心震えるジャスのセッションそのもの!先が見えない今だからこそ、「平家物語」の原文の美しさ、力強さ、リアルなドラマを「今を生きぬく力」として聴いてください。 […]